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    減塩と体重変化

    • 2019.11.30 Saturday
    • 12:46

    スマホで読んでいる方は良く判らないかもだけど、まずはこれをご覧いただきたい。私の今年(2019年)6月の「体重カレンダー」なんだけども...

     

     

    計測し忘れた日もあるが、平均すると「53.5kg」だった。

     

    2015年に半年ほどかけて、積極的に...っていうか、そりゃぁも〜シャカリキになって「ダイエット&フィットネス」に取り組んだ事がある。当時の3月時点で体重は65kgくらい(ちなみに、身長は163cm程度)あったんだけど、8月末までに13kg体重を落とし、52kgを達成。その後は「摂取カロリーだけには気をつける食生活」と「もうシャカリキになる必要はないが、適度な有酸素運動の継続」という「体重(52kg)維持モード」にシフト。その生活習慣は、現在もず〜っと続けている。なので、大したリバウンドもなく過ごしてきて、今年の6月の段階でも「数年経って平均体重が2kgくらい増えたって、そりゃリバウンドのウチにゃ入らんべ」と思ってた...ところがどうだろう?

     

    対して、こちらは11月(今月)の最新のもの。

     

     

    計算したら、平均は「51.6g」...つまり、この半年ほどの間に2kgも平均体重が落ちた事になるんだよね。ちなみに5月「53.6kg」6月「53.5kg」7月「53.2kg」8月「52.0kg」9月「51.7g」10月「51.7kg」そして11月「51.6kg」という感じで推移。6月に比べて特に運動量を増やしたワケじゃない(むしろ逆...血圧が落ち着くまでは、緩いウォーキングしかしておらず、走ってもいない)し、意図的に三食の食事量を減らしたワケでもない。にも関わらず、なぜ数年かけて徐々に増えた2kgが、わずか半年くらいの間に元に戻ったか?血圧自体は薬さえ飲んどけば下がるかも知れないけど、体重は別でしょ、きっと。

     

    私が思うに、平均体重が減った原因は(こちらでも触れている通り)「7月以降は、それまでと同様に毎日自作して食べている昼飯の食塩相当量(塩分)を、2g未満にするように心がけているから」...これでしょう、たぶん。

     

    「高血圧」と判定された私は7月初めから降圧剤を服用し始め、後日栄養士さんからは「1日に摂取する食塩相当量を6g未満にするように」という(とても懇切丁寧で、解りやすい)指導も受けた。ただ、なぜ減塩の目標を「昼食2g未満」だけに設定したか?それは、昔っから朝夕食はウチのヤツが作ってくれていて、私も基本的に同じものを食べてる...にも関わらず、彼女は若い頃から現在に至るまでず〜っと「低血圧」のままだから。それに夕食の際に、私だけ追加して「梅干しや漬物を食う」とか「海苔の佃煮をメシに載せる」とか「卵かけご飯にする」とか「味付け海苔に醤油をつけて、メシを巻き食い」とか、そういう習慣も全くないしな。嗜好が分かれるのは醤油やソースの量だけど、それは「かける」のを止めて「つける」ようにしたし、とにかく朝夕食は問題ないと思ってね。第一「1日トータルで食塩相当量を計量」となると、高血圧とは全く無縁の世界にいるウチのヤツの協力が必須だし、何かとあれこれメンドくさいっしょ(結局、それが本音だろ?...というツッコミはナシ)

     

    カレンダーを見ると、7月中旬以降に目に見えて「あれ?」と思うくらい、その効果が現れ始めたと感じる。つまり、塩分の過剰摂取に伴って体内の塩分濃度を一定に保つために「オメェ〜今まで体内に、どんだけ余分な体液や血液を溜め込んでいたんだよ、おいっ!」っとまぁ、そういう事だと思うな。

     

    「その時点での私の身体に見合った分以上の、不要な体液・血液は排泄される(注:血尿が出る...というワケではないので、念のため)」→「これまで通り、摂取カロリー≦消費カロリーの食生活・生活習慣を続ける」→「体重は現状維持か、勝手に減る」→「その時点での...(以下、最初に戻る)」

     

    というループが、減塩する事によって上手く機能したんだろうと思うが...無論「独自研究(文字通り)」だけどね。ただし「7月から、全く自覚症状がない全然別の病気(例えば、ナントカ癌とか?)が進行し始めた」となると、全くシャレにならんけど。

     

    まぁ何だかんだ言いつつも過去、ただでさえ塩っ辛いものが大好きな私が毎日自作して食べていた「カロリーは徹底的にマークするが、塩分は全くノーマーク」だった時の昼飯のメニューを振り返ると...ゾッとするわ、マジで(笑)ま、今となっては笑い話にもなるので、現在の昼飯とのギャップなんかを、気が向いたら話題にしてみるか。

     

    昼飯の減塩に取り組んでからまだ5ヶ月だから「減塩と体重」について、結論を出すのは早急だったかな?まして「今後どうなって行くのか」も全く解らないし...とりあえず今後も目立った変化があった時は、こうして書いておく事にしよう。

     

    毎日、起床後と就寝前に血圧を測定して記録してる。もちろん日によってけっこう変動はあるけど、ここ数ヶ月の平均は、朝は130/90前後、夜は110/70前後ってところあたりで、ず〜っと安定している。降圧剤も、1日1錠夕食後に飲むだけで済むようになったしなぁ〜

     

    私ゃ「何らかの身体上の不具合への対応とその効果が割と素直に反映される、モノ凄く解りやすい体質」なのかも知れない。

    A.LIVE二夜

    • 2019.11.27 Wednesday
    • 13:22

    お馴染みのLive Cafe&Bar「A.LIVE」は、小樽駅近辺の「小樽市の歴史的建造物」に指定されている建物を利用して、2016年2月にオープン。以降プロ・アマ問わず、様々なアーティストのライブ会場として利用されていて、私も大変お世話になった。でもこの度は事情により、今度は「花園地区」という、小樽市中心部の飲み屋街へ移転することになってね。23・24(土・日)は、この場所で行う最後のライブがあって、私ゃ両日とも出演してきた。

     

     

    23日(土)は「Manhattans Hokkaido Tour 2019」があって、AYA with HOT&COOLが前座を仰せつかった。

     

    My Funny Valentine

    Sunny(Jamiroquai Ver.)

    Through The Fire

    What Cha' Gonna Do For Me

    Somebody Else's Guy

     

    Manhattansは何年かぶりだったけど、相変わらず良かったね。北守一生(A.Sax)加藤景子(Key)新加入の今野雄介(E.G.)のプレイは勿論言うまでもなく素晴らしい。でも今回改めて「やっぱりスゴいよね」と思ったのは、森崎直樹(Dr.)と相澤卓也(E.B.)のリズムセクション。音作り含めて、何て言うか...とにかく「タイト」って感じ。これは、歌物だろうとインストだろうと関係ない。Bukiちゃん、我々はまだまだ未熟だぜ(笑)

    AYAが飛び入りで、Manhattansという豪華メンバーをバックにNewyork state of mindを歌ったり、最後は2つのバンドが入り乱れて大セッションしたり、とても楽しい夜だった。

     

    翌24日(日)は「移転記念パーティー」が開催されて、こちらの方はStamp Bandが出演。参加者は、ライブやイベントの会場として利用してきた地元のミュージシャンたちや、お店のファン(我々には親戚同様)のお客さん...「今までこの会場にはお世話になりました」的な、ほとんど全員旧知の、身内ばかりのパーティー。とはいえ、けっこうな人数だったな...50人は確実に入っていて、超満員御礼ってところか。

     

    にがい涙

    荒野のならず者

    その気にさせないで

    星空の二人

    クリスタル・ムーン

    パラシュート

     

    地元小樽の「スターレスNEO」「みすちばす」「高橋麻衣子 with O」という素晴らしいバンドが出演したのに、何故か我々がトリ...みんなきっと「早いとこ済ませて、ゆっくり飲んで騒ぎたい」って感じだったんだろう(笑)まぁでも、こちらも楽しかったよ。私ゃその前にも昔の仲間とブルースセッションやったり、AYA・Bukiちゃん・雷神と4人で「迷信」やったり...全部とても盛り上がって、楽しかった。札幌からこのパーティーに参加した、Junk Grooveのドラマーで、昔一緒にバンド組んでた鳴海ちゃんや、ベーカーショップブギーのベーシストのヤギさんとも、久しぶりに思い出話や色んな話ができたのも楽しかった。

     

    とにかく、両日とも充実した楽しい夜を過ごせて、私ゃしあわせ♡...こういう場を提供してくれたA.LIVEさんには、感謝感謝。ママ、西くん、両日ともPAを担当してくれた谷さん、お疲れさまでした、ありがとう。

     

    移転した後も、素晴らしいお店になりますように。

    カルメン・マキ&OZのツアー

    • 2019.11.23 Saturday
    • 11:51

    過日、Facebookで友人がシェアしてたのを読んだんだけど「カルメン・マキ&OZ...45th Anniversary and "The Last Tour" 2019」ってツアーがあって、北海道にも来る。全国何ヶ所か廻るんだけど、他の会場が既に完売・完売間近なのに比べ、ツアー初日である11月28日Zepp札幌での公演については、集客がイマ一つらしいね。

     

    いやぁ〜「マキOZ」好きだなぁ〜。10代の頃、札幌で「ワールドロックフェスティバル」と言う大きなイベントがあって(会場はどこだったか忘れた)彼等をかぶりつきで見たけど、実にカッコ良かった。カルメン・マキは白い衣装で、私ゃ「あぁ〜...女神さま、観音さまぁ〜」って感じで、神々しく眩しくてマトモに凝視できず、ひたすら拝んでいた(ような気がする)

     

     

    もちろん、3枚のオリジナルアルバムは(2・3枚目は、発売と同時に速攻で)全部買った。でも手元に残ってるのは、ジャケットがボロボロになってセロテープで補強した1枚目だけ。残りの2枚は、誰かに貸したっきり返って来なかったのかな?...まぁ、良くある話だ。後年、3枚ともCDで買い戻した(?)けどね。

    特に2枚目の「閉ざされた町」が大好きで...と思い出話を書き始めるとキリがないし、別の主題になるから止めておく(いつぞや、どこかで書いたような気もするし)

     

    地理的にもZepp札幌なら全然行けるし、ウィークデーだろうと開演時間が何時だろうと、今の私にゃ関係ない。

     

    が、しかし...

     

    前売り¥12,000は、高いなぁ〜...まぁ確かに、これが最後のチャンスで、もう見納めかも知れない。「あぁ〜...女神さま、観音さまぁ〜」と、掌を合わせて仰ぎ見たカルメン・マキの、ほぼ40年ぶりの経年変化も見てみたい。彼等も北海道には色々と思い入れがあるらしく、ツアーに札幌公演を加えたのもそのせいだとか。その期待に応えたいのも山々なんだがね...

     

    「行けない理由」を書き始めると、ここ数年色々と誤算があって、フトコロ事情が悪化の一途になってきた話になって...寂しいから、これも止めておく(笑)

     

    まぁカルメン・マキは私より7歳年上で、ウチのヤツと同じ1951年生まれなのが自慢かな(...自慢して、どうする?)

    ステージ衣装あれこれ

    • 2019.11.19 Tuesday
    • 18:22

    屋内で演奏する時は、季節問わずどんなライブハウスや会場でも照明が当たるから暑い。なので特に指定がない限り、普段はTシャツ1枚。ところが...

     

     

    ベースを構える位置は、ベーシストの皆さんそれぞれお好みだよね。私ゃご覧のように、かなり高い位置で弾くのが好き。長年の慣れもあるけど、低い方から高い方まで自在に指が届くし、楽だから。

     

    でも...と言う事は、Tシャツに描かれている「柄」は、ベース本体やストラップでほとんど隠れてしまうという事になる。まぁこのTシャツは、まだマシな方かな。なぜなら「左肩から斜めに描かれている、派手目で大胆なボタニカル柄」は所々しか見えないが、右胸側には何やら「文字列」が描いてあって、それはお客さんから見えるから。

     

    どんな柄物のTシャツであっても、どういうワケか「柄」やワンポイントみたいなのに関しては「左半身中心」か「身体のど真ん中」がほとんど。そういうのは、結局私の場合「ライブの時にお客さんからは見えないので、無地でも全然OK」という事になってしまう...夏場の普段着としては、着ているけどね。

    「じゃぁ、左右対象のデザインは?」って話になると、そういうのって「横縞模様」を始めホリゾンタルなデザインが多いから、ただでさえ背が低い私ゃ好きじゃない。

    「ならば、総柄はどうだ?」と言われれば、それは結構好き。面白くて派手なデザインで、カッコ良さげなものは山ほどある。ただし、私ゃ「Tシャツ着るならVネック」主義...となると、まず絶望的と言って良い。気に入ったデザインがあったとしても、ほとんどクルーネックだから。

     

    とにかく「遠山の金さん」みたいに、お白洲で片肌(右肩)脱いで「テメぇら、この桜吹雪が目に入らなねぇ〜か!」的なデザインのTシャツって、滅多にない...あ、別に私ゃタトゥに憧れているとか、好きとか言うワケじゃありませんので、念のため。

    にしても、右上腕部・右肩から右胸に渡って、こんなに広々としたキャンバスがあるのに、もったいない話だと思いませんか?...実に嘆かわしい限りだな(勝手に嘆いてろってかw)

     

    ごくたま〜に、条件に合致したTシャツを見かける事はあるさ。それでも、そいういのって何故か、それこそ「金さん風」な「植物系」デザインのものばかり...何でだよ?

     

    ライブを見に来るお客さんにしてみれば、その98.7%は「ベーシストなんぞどうでも良いし、何を着ていようが眼中にない」のは百も承知。とはいえ私なりの「拘り」もあるので、長々と書いてみた(数値の根拠はありません)

     

    こういう話って、ブログのカテゴリー的には「私はベーシスト」ではなく「夏炉冬扇」の方が良かったのでは?...については、今から自問自答開始。

    弟の孫

    • 2019.11.15 Friday
    • 21:52

    本日は「弟の娘(つまり、私の姪っ子)夫妻が、先月生まれた娘を披露しに、弟夫妻(彼等にしてみれば孫)と一緒に」我が家に来てくれた。何かどこかで書いたような気もするけど「弟の孫=姪っ子の子供」って、何て呼称すれば良いんだっけ?

     

    まぁ、とにかく可愛いね。今まで私の周囲でも(私より歳が若い人がほとんどだけど)既に立派に「じいさん、ばあさん」になっている友人たちから「孫はね...可愛いよぉ〜♡」という話は良く聞いてる。私も「そりゃそうだべ...なんもかんもなく(...って当地の言葉ですが、要するに「無条件で」って意味)可愛いに決まってる」って思うし、Facebookに「孫の成長」をアップしている人の気持ちも、十分すぎるくらい解ってるつもりですよ、はい。

     

     

    こういう「赤ちゃんを抱く」って感触は、数十年ぶり。しかも私ゃ、母親である姪っ子と、弟の奥さん(つまり、ばあちゃん)の次にこの子に触れている時間が多かった気がする。でも、全然緊張しなかったのはなぜだろう?「昔取った杵柄」って感じだったんだろうか。ほら、良く「泳ぎとチャリンコは、一度覚えたら絶対に忘れない」って言うっしょ(...言わないかw)

    誰かから「手慣れたもんだわぁ〜」と言われたけど、当然私ゃ無意識だった。まぁ、そんなもんなのかもね。

     

    なにはともあれ健康で、すくすくと育ってほしいね。

    HA5500

    • 2019.11.11 Monday
    • 15:57

    11月2日に小樽市ゴールドストーンで開催された「雷神祭」での出来事

     

    AYA with HOT&COOLのリハーサルが始まるのでステージに上がったら、オペの人が「ベーアンのヘッド、取り替えます」と寄ってきた。それまではここの定番、いつものAMPEG「SVT-2PRO」だったんだけど、どうも調子が悪かったらしい。ウチらの前にも何バンドかリハをしていたけど、突然音が飛んだり復旧したり、スタンバイスイッチを入れたら煙も出たそうな...そりゃ、いかんな。

     

    で、代替機としてセットしてくれたのが、こちら...Hartke(ハートキー)HA5500

     

     

    ライブの時に良く見かけるのは「HA2500」だけど、この初めての「HA5500」も見た目はそっくりで、ちょっと高さがあるだけ。フロントパネルに並んでいる各種コントローラーも同じ構成だから、何事も迷わずすんなりと。私ゃいつでも、余程の事がない限り「グライコ」や「Contour」は(いじり出したらキリがないから)いじらないし。

     

    やっぱ良いわ「Hartke」...「SVT-2PRO」は、全体的に何とな〜く「むぅぉわ〜っ」とした感じを受けるんだけど、Hartkeのこのシリーズは「シャリ〜ン」「ゴリッ」「ズド〜ン」って感じで大好き。もちろん有り余るパワーだし、私が持っているどんなベースと組み合わせても「あら...?」な〜んて事は一度もなかった。

     

    って事は、ヘッドに何を組み合わせても、このAMPEGのキャビネットって優秀だ...って事にもなるのか。

     

    とあるスタッフの方に「すみません、いつものが調子悪くて...」と、気の毒そうに声をかけられたが...「いやぁ〜俺ね...実はHartkeの方が好きなんだよね♡」「そうでしたかぁ〜、結果オーライで良かったぁ〜」と、安心された。

     

    今後もここで演奏する機会があったら、もぉ〜ずぅ〜...っと「Hartke」で良いから。

    雷神祭

    • 2019.11.07 Thursday
    • 16:31

    前回書いた通り、今まで一度も経験した事がない、何だかとても複雑で不思議な心境だったけど....11月2日(土)は、私とは旧知の間柄で、現在は「スターレスNEO」「AIR RAID」他のギタリスト、あるいはソロ活動で活躍している「雷神(古俣)」の「生誕60年」を記念したライブがあった。場所は小樽市ゴールドストーンで、私の拠点バンド「AYA with HOT&COOL」も、このお祝いライブに参加。彼がゲストで参加する曲も用意して、一緒に盛り上がった。

     

    私の弟たちを通して(双子である弟たちの片方が、学校の後輩という間柄)高校時代の彼と知り合った。家が比較的近かった事もあり、遊びに行ったり来たりした事もある。以来、直接一緒にバンドは組んだ事はないけど、ず〜っと活動は見てた。だからバンド関連で言えば、一番古い友達の一人だ...年齢で言えば、私と1つしか違わない。

     

    Pick Up The Pieces

    Talkin' Loud

    Sweet Love

    Breakout

    Greatest Love Of All

    Superstition(feat.雷神)

     

    先頃、雷神と同年代(亥年生まれ)の友人(っていうか、戦友?)たちの「還暦パーティー」にも参加したけど、こうして単独で「ゴールドストーン」でお祝いしてもらえるなんて、幸せ者だし大したもんだよ。ギターを弾き始めてから今日に至るまで、終始一貫「ヘヴィーメタル」の求道者であり続ける姿勢は、見上げたものです。

     

    とはいえ私としては、色々な関わり合いの中では全員同じ仲間。会場の規模や出席者に関係なく、一番大切な事は「全員60年間生きてきた」という事...何がどうあれ、そこに優劣は存在しない。彼等の誰がどんな道を歩んでいるとしても、とりあえず皆さん、生きて一区切りを迎える事ができたワケですから。

     

     

    本人の希望で「雷神が全身全霊をかけたガチなライブ」になったから、お祝いムードというより「現在に至る、彼の集大成を披露」的な感じのライブだったが...でも、バンド関係者中心に行われた打ち上げは別。この日が60歳の誕生日だった彼を、出席した皆んなでお祝い。雷神、おめでとう!

     

     

    私もホントに駆け出しの頃はハードロック一辺倒だったし、私が当時在籍していたバンドは、雷神を始めとした小樽の後輩たちに、少なからず影響を与えていたらしい。だからこのパーティーで彼の隣に座り、今でも現役でバンドを継続している(実際このライブにも参加した)後輩たちと一緒に、当時の思い出話を始めたら...尽きる事はなかったかも知れない。

     

    でも雷神には大変申し訳ないが、この日はイントロのリンク先に書いたような事情があって「いくら飲んでも、心から離れない思いがず〜っと続いた」日でね。彼に話しかけると、この晴れがましい席で「お願いだから、俺より先に逝くな」って話題をしそうな気がして止めておいた。でも、どうだろ?むしろ「生きてるうちが花なのよ」と、真剣に話すべきだったか?皆んな、そういう話題に相応しい年齢になってるワケだし...どっちが正解だったのかな?

     

    まぁ雷神は「ちょっとやそっとでは...」って感じのバイタルな奴だから、心配はないと思う。でも、こればかりは「誰がいつ、どうなるのか」誰にも解らない。

     

    とにかく何よりもまず、彼にはこれからも健康第一で頑張って欲しいね。

    高橋卓二氏を偲んで

    • 2019.11.03 Sunday
    • 17:16

    11月1日に「高橋卓二」氏が亡くなったという連絡を、複数の知人を通して受け取った。ちょっと前から「10月20日に心筋梗塞で倒れ、症状は...」といったような情報も受け取ってはいたが、やはりダメだったか...彼は私と同い年なはず。

     

    昨夜は小樽市ゴールドストーンで、高校時代からの旧知であるギタリスト「(雷神)古俣」の「生誕60年記念ライブ」があり、AYA with HOT&COOLも出演した。でも正直な話、事前にやった数回の音合わせは、何となく集中できなかったな。特に本番と打ち上げでは「今頃、彼のお通夜が執り行われているんだろなぁ〜」と思うと「これからも元気で活躍して欲しい人」と「本人の意思とは無関係に、その望みを断たれてしまった人」という思いが交錯して、何とも言えない複雑な気持ちだった。ただそれは、バンドのメンバーやお客さん、雷神本人には関係ない話だ...とはいえ私ゃ「それはそれ、これはこれ」と割り切れるほど懐が広い人間とは言えない。めでたく、記念すべきライブと打ち上げだったが、十分に楽しめたかと言うと...良く解らない。

     

    雷神には悪いが、ライブの話は後回しにさせてもらおう。

     

    高橋卓二氏と最初に出会ったのは、80年代後半に札幌で立ち上がったプロジェクトに呼ばれた時。彼は当時既に「卓ちゃんなら、任せて安心」ってくらい定評があるオペレーターで、90年代前半くらいまでレコーディングやライブなどで一緒に仕事をしてた。当時の私としては小樽の田舎から呼ばれただけでも光栄だったし、私以外のメンバーや、彼を含めた一流の皆さんと一緒に活動できて、貴重な経験をさせてもらっていた時期だったな。

     

     

    彼とは、妙に馬が合った。「演奏する側」と「スタジオのガラスの向こうや客席で『音』をコーディネートする側」という立場の違いはあったけど、ホント一緒に仕事をしていて楽しかった。機材を含め「レコーディングやライブ」に関連するあらゆる分野で、彼の豊富な経験に基づいた、大変参考になる話もたくさん聞かせてもらった。地方でのライブの時に彼の運転する車の助手席に座り、道中二人で色んな話に花を咲かせた事もあった。

     

    一段落した後も、年賀状のやりとりは継続していた。何年か前からは「Facebook」でも繋がった。バリバリ第一線で活躍している姿も見ていたし、私も彼の投稿に、たまにコメントを寄せたりもしてた。

     

    彼自身と最後に会ったのは、昨年11月末に小樽市マリンホールで開催されたゴスペルコンサートを観に行った時。開演前に客席を見渡すと、ミキサーの前に彼の姿が。で、終了後に早速駆け寄って「いやぁ〜しばらくだねぇ〜!元気そうで何より」とお互い言葉を交わし、お客さんがほぼハケる前までの短い時間だったけど、近況なんぞを語り合った。

     

    そういや一昨年の年賀状だったかな?...「まっちゃんのベースが聞きたい」とコメントが書いてあったのも思い出した。

     

    彼のような「裏方とはいえ、あらゆる意味で皆んなに、得難い安心感を与えてくれる」人って、そういない。私も含め、彼と一緒に仕事をした事がある人たちは、全員そう思っていると確信する。昨夜のライブの控え室でも、札幌に進出した事があるバンドのメンバーから、彼の死を悼む声を聞いた。

     

    あれこれと色んな事を思い出す度に「え?俺って、このまま死んじゃうの?」と思ったかも知れない、彼の心の内を想像してしまう。それどころではなかったかも知れないが、いずれにしても体調不良を自覚した時の彼の不安を思うと、胸が張り裂けそうだ。そしてそれは、私の想像力の限界をはるかに超えている。私と同じ歳だよ、この私と...さぞ無念だったでしょう。

     

    安らかにお眠りください。

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