実は本日は、私が15年前に初めてブログを書き始めたという「ブログ記念日」なんですよ(知るかよってかw)...「DOKUDAN」というタイトルでブログを書き始めたのが2005年2月1日(最初の記事はこちら)で、そこで242件。2008年5月25日からは「Horumnism」で304件。2012年4月22日からは「餃子焼けたか」で300件。そしてこの「四方八呆」は2015年5月1日から書き始めて、この記事が497件目。で、全部トータルすると、この15年間(5,478日間)で1,343件か...長ぇ〜な(笑)
まぁ今まであれこれタイトルを変えてきた理由は「(タイトルに)飽きてきた」「環境が変わった」など様々ですが。
タイトル的には、この「四方八呆」が一番長くて(4年9ヶ月)しかも、あと3件で500件に到達するところだった。私が使っているモニターの縦は1,080pxなんだけど、月別の「archives」は、とっくの昔に画面を突き破ってしまってる。キリの良いところで、500件に達したら別なタイトルで始めようかとも思ったんだけど...
何たってこの「四方八呆」を書き始めた頃から約5年の間でさえ、私をめぐる環境もずいぶん変わった。主に身体的な面だけど、カテゴリー的にも「実は健康志向」としてえっちらおっちらやって体重を落とし、状態を維持して健康体で無事に還暦を迎える事ができたと思ったら、今度は「私ゃ高血圧」ときたもんだ。もう60を過ぎた私だ...これからまた「身体上の不具合」が、新たに発見される可能性は、ぐんと高まるだろうし。
これから先、いつまで書き続ける事ができるのか全く解らないけど、もう16年目に突入したし、この際一度リセットボタンを押すのも悪くないかな?と思ってね。実は昨年末から色々移転先を探してたんだけど、その目処が立ったので引っ越しする事に。この「四方八呆」はもう更新しないけど、この度はこちら...
(ねこじたないぬ)
https://nekojitanainu.seesaa.net
で、新たな気持ちで書き始めました。よろしければ上記のリンク先を「お気に入り」に加えていただき、今後ともご愛読の程をよろしくお願いします。
今までの15年間もずっとそうでしたが、管理メニューで「例え私一人しかアクセスしている人がいない」状況が続いたとしても、これからもブログは書き続けます。「もういいわ」と言われても、絶対メゲません(笑)
15年か...ブログを書き始めた時に中学生だった娘も、現在30歳ですよ...我ながら、良く続けてきたもんだわ。
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総会に出席するなんて久しぶりだったけど、過去何回か出席した事がある総会同様「除・排雪」関連の質疑応答が若干あったくらいで、あとはいわゆる「しゃんしゃんしゃん」で終了。懇親会は欠席したけど、弁当を持たせてくれた。
ここに引っ越してきてから30年ちょっとだけど、昔は葬儀の会場はお寺で、町内会で仕切ってた。職業柄お金を数えるのは得意なので(貯めるのは苦手w)良く「会計」を仰せつかったよ。今は皆んな葬儀屋さんのナントカ会館とか使うから、そういう事も全くなくなった。なかなか良いコミニュケーションの場だったんだけどなぁ。
今年は班長だけど、例年そうでない時も、草刈機の扱いには慣れているから、年に一度の公園の整備や空き地になっている場所の草刈りには必ず参加している。資源回収の時は、集まった廃品を業者に引き渡す時、毎回トラックの荷台に上がって積み捌きをする係。そういう「実働部隊」としては、私ゃ未だ「若手」に入るんだよな。ウチの班にも何年か前に、やっと私より年下の世帯が引っ越してきたけど、昨年は明らかに高齢なご夫婦が引っ越してきた。ウチの町内会は200世帯ほどだけど、高齢化が進んでいるな...小樽市内なら、どこでもそうか。
近年、近所に住む方の孫たち(未就学児童)が地方から遊びにきては、私の家の前で元気に遊んでるシーンを良く見かけるようになった。この孫たちの親が小さかった頃は「おじさん」と呼ばれていたが、その子供が産んだ子供たちからは「おじいちゃん」と呼ばれている。ウチの町内じゃ、まだ若手なんだがな...ま、他人の孫たちとは言え、可愛いから許す(笑)
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私が見ている昼間の中継では、色々な館内風景が映ることが多い事は書いた。その中に、日本人のお客さんに混じって「極東の神秘的スポーツを一目見ようと訪れた西洋人観光客たち」とも書いたけど、どうして「大相撲は彼らから見れば、極東の神秘的スポーツに見えるに違いない」と私が勝手に想像したか?...これですよ、書き忘れたのは。
何年前だったか忘れたけど、休日にテレビのスイッチを入れたら、NHK総合で大相撲中継をやってた。相撲を見るのが目的じゃなかったから他のチャンネルを見ようとしたんだけど、リモコンの操作を間違えたらしく、なぜか音声が英語に切り替わったんだよね。
「え?」と思ったけど、何だか面白そうだったので、そのまましばらく英語での中継を見ていたら...
人気の取り組みでお客さんが大いに盛り上がってるのを他所に、ほとんど淡々とクールに話してる。勝負が終わって熱戦だった時は、たまに「Wow...」とか「Suprise,Suprise...」とかしゃべってたけど、とても控えめ。
で、何とな〜く見続けていたら、画面の中の見慣れたはずの光景が、何だかも〜全っ然違う印象に見えてきてさ。
こういう「幕内力士土俵入り」も、神事というか儀式というか...冷静に英語で中継されると、それまでは単なる「お客さんへのお目見え」としてしか思っていなかったものが、何か神聖なセレモニーに思えてくるんだよね。もちろんこの「土俵入り」については、ちゃんと歴史的意義があるんでしょうが、そんなの全く考えた事がなかったし。
実際の対戦の時もそう。解説者もおらず、一人淡々とした必要最小限の英語アナウンスをバックに、見慣れたはずの「四股踏み」「塩撒き」「仕切り」などの一連の所作を見てると、なんか知らんがとても不思議で神秘的なルーチンに思えるんだよねぇ〜...何でだろ?
外国人が見たら、さぞや「不思議で神秘的なスポーツ」に見えるだろうと私は思う。初場所も残り3日ですが、みなさんも機会があったら、是非英語での中継をお試しになってみてはいかが?見える景色が違ってくるかと...「全然面白くないじゃん」と言われても、責任は持てませんが(笑)
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ただ大相撲に関しては、「大鵬」に続く「北の富士」も「北の湖」も北海道出身で、毎年毎場所必ず北海道出身の横綱が切れ目なく続いてた。でも90年代初頭「千代の富士」「大乃国」「北勝海」が相次いで引退して、北海道出身の横綱が一人もいなくなった時期から関心がなくなっちゃってね。なので、休日に良く見ていたNHKの中継も、それからはほとんど見なくなったな。
でも仕事を辞めてから、ずいぶん見る機会が増えたよ...と言っても、NHK総合で15時くらいから放送される方(十両以上の関取の対戦)じゃなく、NHK-BS1で13時から放送されてる方だけどね。
放送開始は「三段目上位」とか「幕下」の取り組みからだから、客席はまだスカスカ。別に贔屓の力士がいるワケでもないし、大相撲そのものにあまり関心がないのも変わらないが、それが返って昼飯時に「何も考えず、ぼ〜っと見る」のに最適なんだよね。
中継も、この時間帯は「人影がほとんど(あるいは全く)なく、座布団だけが整然と並べられた溜席(土俵周辺の席)」「家族で、のんびり弁当を食べている枡席」「男女(親子?)が全員和装でキめている枡席」「右手に焼き鳥、左手で缶ビールを飲みながら観戦している、着物姿の若い女性」「お年寄りが三人、何事か熱心に語り合っている自由席」「極東の神秘的スポーツを一目見ようと訪れた西洋人観光客」等々、中々興味深い館内風景がけっこう挟まれる。
あと、和服(着物姿)で相撲を観戦している女性って、年齢問わずやたら美人が多い気もするな。カメラマンもそこ(だけ)を狙ってんのか?
...な〜んて「相撲内容や勝敗に全く関係のない大相撲放送の楽しみ方」もアリだと思うんです。私ゃちゃんと受信料を払ってますから「何をどう楽しもうが勝手」だよね?(笑)もちろん、たくさん熱戦が繰り広げられてるし、思わず力が入っちゃう事だってあります、ちゃんとね。
そんなこんなで「昼飯を作って食べて食器や鍋を洗って後片付け」という時間帯に見るだけだから、時間的は1時間に満たない...せいぜい4〜50分程度かな。でも本場所が開催されている時期は、バイトでも入らない限り良く見てるね...「見てる」というより「垂れ流してる」って方が正しいか。
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こういう時に思い出すのは、1996年(平成8年)の「1月9日」...そう、極めて局地的だったとはいえ、小樽市街地やここら辺りで、前日の夜から一晩でハンパない雪が降った日。24年経った今でも、たまに私や友人が話題にするくらい衝撃的だった「あの日」ね。雪が少ない今シーズンだから、なおさら「いやぁ〜、あん時ゃヒデ(ド)かったわ」と、飲み屋で話題にする小樽市民も少なからずいるだろう。
「豪雪」だけなら、過去に何回もある...全国的に百数十名の死者を出した年だってあったはず。でも、それらは「連日のように雪が降り続けた結果、最終的にはとんでもない積雪量になった」という場合が多い。だから、幸いな事に私を含めて直接被災しなかった人々にとっては、何年か経てば「雪が多かった年」「雪かきが大変だった年」という記憶の一部になってしまう。程度の差はあっても、雪が積もったら人間がやる事は毎年一緒だし。
でも1996年1月9日は、今でも日付を覚えているくらい、もっと強烈な破壊力で私の記憶に残ってる。何たって「前日夜から一晩で80cm以上(場所によっては1m以上)の積雪」があった日なんだよ。別に「人的・物的被害にあった」というワケでもなく、せいぜい「出勤不能になった」ってくらいだけど...ただしここは「山奥」でも「山間部」でも何でもない、海の近くの「単なる平地の住宅地」だから、驚いたの何のって。
あの日の朝、前日と全く違う外の状況を窓から見て「ウソだろ?...これはヤバい」と思ってね。出勤しようと駅に向かって家を出る際は、スキーウェアを着て膝下までカバーできる長靴を履くという完全武装。で、ドアの1/3ほどが雪で埋まった玄関を開け、表に出たは良いが...
道路はず〜っと、私のヘソ以上...ヘタすりゃ胸くらいまで積もった雪で埋まってた。上の画像の左端(自宅から100mあるかないか?)まで、ラッセルし(=雪をかきわけ)ながら雪中行軍。何分かかってそこまでたどり着いたか定かじゃないけど、もう既に「汗びっしょり」で、疲労困憊。
まだまだ風雪は続いていたし、そこから先も同じ状況。周囲を見渡しても玄関が半分くらい、車もフロントガラス半ばくらいまで雪に埋もれている所も....「ダメだ、こりゃ...」と、引き返した。
会社に出勤不能だと電話したら「だろうな...こっち(小樽市街地)も同じ。ここ(会社)まで来れた人だけで何とかするから、まぁ休め」と。小樽市内も大混乱で、当然市内や市内へ向かう公共交通機関は全滅。当時は今と違って、テレビの通常番組の余白に「交通情報」のテロップが流れる仕組みになってたワケじゃないし「Yahoo!乗り換え案内」も存在してない。何とか出勤しようともがいた自分が、微笑ましくもあるな。
後から聞いた話では、小樽市内のマンションの住人が、部屋の眼下に見える隣接する屋外駐車場を見て「停めてあった車が、一晩で一台残らず消えていた(=車の屋根まで雪が積もってた)」という事例もあったらしい。
小樽市周辺の限定的な、思いっきりローカルな豪雪だったかも知れないが、とにかく「一晩で80cm以上の積雪」ってのは、生まれてこの方、後にも先にも「あの日」だけだ。当時と今では、自分が置かれている状況はかなり違うが、あんな日はこれからも勘弁してほしい。
※ちなみに記憶の裏付けとして、こちらを参照しました。
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新年会自体は他の出席者も大勢いたけど、これは「ビッグマラーズ」(今考えても、スゲぇ〜バンド名だ・笑)のメンバーの、久々の再会(欠けてる人もいるけど)を記念して撮ってもらったもの。結成当初(私が二十歳くらいの頃)から解散するまで在籍し、最年少だった私に「大人の音楽」に触れる機会を沢山与えてくれたバンドなんです...いや〜、懐かしい。
私も当然写っているけど、拡大するとこんな感じ。2014年1月なので、まだ仕事をしていた頃だからヒゲはない。それはさて置き...
身長は163cm程度の私が「今までの人生、最高潮に丸々と肥えていた」のは、2015年3月頃。その時の体重は65kgくらいで、これはその1年ほど前になる。でも、輪郭は既にピーク時と大して変わっていないはず。このFacebookのシェアを見て、別の友人が「丸い(^^)」とツッコミを入れてくれたが、確かに鼻っ柱付近にコンパスを当てて「円」を描くと、ほとんど余白なしできれいに収まりそうだ。
で、それに対して今は...
これは現在(と言っても2019年11月)のものだけど、絵に描いたような「一目瞭然」だ。何せピーク時とこちらとでは、体重が13kgほど違うから。
ピーク時に65kgだったのを2015年の春先に一念発起して、半年近く自分なりにあれこれどんちゃんやって、最終的には52kg以下(ほぼ高校生時代)まで落とした...って事は当時、体重の20%(1/5)を落とした事になる。つまりボクシングで例えれば「ウェルター級」(66.68kg以下)だったのを、バンタム級未満の「スーパーフライ級」(52.16kg以下)まで落としたという事になるので、これは実に「8階級制覇」に匹敵する!
うん、我ながら良い例えだな〜と思ったんだけど、やっぱ解りにくいな(笑)
現在でも体重は維持継続中で、幸か不幸か昨年の夏から「減塩習慣 for 高血圧」を始めたせいか、52kgを超える事は滅多にない。まぁ身長が身長だけにBMIは20を少々下回る程度だし、それに「重大な病気を経験した」とか、そういう理由で痩せたワケでもないから大丈夫(だと思う)。
とにかく2014年以前は(まるで戦車のように)身体中に、どんだけ分厚い「脂肪」という名の装甲を施してたんだよ?って事だよね。実際、当時から着ている「ダウンジャケット」を今でも羽織ってるけど、2015年冬シーズン以降は「あれ?以前はもっと暖かく感じたんだけどな?」と体感してます...いや、ホントに。
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それでも、昨年末いくつか決意した事があります。その中の一つが...「来年(つまり今年)こそ、日めくりカレンダーをちゃんとめくりたい!」
「意味不明」でしょう、普通はね。まぁ、こちらの画像をご覧ください。私ゃ毎日便器に腰かけるついでに、真正面に見える「日めくりカレンダー」を1枚ちぎるのが日課。でも、昨年は誠に残念な結果に終わってしまいまして...
解りますか?この「ちぎった後の、不揃い具合」...これが去年のある時期から、急に気になり出し始めてね。気になり出したら、気になって気になって仕方ない...これをパソコンで読んでいる方は、気になって以降はきれいな切り口になっているのがお解りいただけるかも。そんで、ついにある日「昨日までのこの切り口を、何とか綺麗に揃えられないものか」と挑戦してみたさ。でも、手(指)を使っての修復はムリな(かえって事態を悪化させる)事が判明。
かといってカッターナイフを持ち出す程のものでもないし、日常でも大用の時にわざわざカッターナイフや定規を持ち込む程のものでもない...で昨年は、気にしつつも放置する事に。気になり出すのが、余りにも遅過ぎたわ。
今年はまだ始まったばかりだけど、ご覧のように一応順調にちぎれているが...ま、この集中力がいつまで続くか解らないし、そのうち不用意に「ベリッ」とやって、気がつくと「あ〜...(T - T)」という日が来るかも(で、忘年会で「ま、いっか」となる)
今更だけど「ミシン目が付いた日めくりカレンダー」って、売ってんのかな?いつぞやも書いたけど、ちぎってそのまま便器へ流せる紙製なら、なお一層Goodなんだがな。
さて今週月曜日は、バンド仲間の御母堂様のお通夜に参列した...故人は1936年生まれ。で、本日はこれから、ガキの頃良くお世話になった叔母のお通夜、葬儀に行ってくる。故人は1935年(昭和10年)生まれで、私のオフクロと同い年の84歳だ。偶然だけど、似たような年齢の二人が、立て続けに亡くなった事になる。
一応私のオフクロは、多少ボケが入っているとはいえ、親父と二人で実家で健在。今のところ亡くなられたお二人と違い、闘病生活とは無縁ではいるけども、どうだかな〜...覚悟はしてるけどね。
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会場は、昨年末に移転オープンした「A.LIVE」...初めて入ったけど、雰囲気は「ライブステージエリアを備えた、広めのスナック」って感じだった。前の店舗は、小樽の「歴史的建造物」を改装したものだから「カルチャーの発信地」みたいな雰囲気だったけど、今度のは「元レストパブ」だから、こちらの方が「いかにもライブバー」的な感じかな?
今回は、これまた毎年同じ日に大橋(スターレスNEO)の自宅で開催している、我々シルバーメタリックエイジから見れば「若者中心」(と言っても、全員4〜50代だがね)の新年会メンバーも一部参加。大橋自身が昨年は身内の不幸が重なって「今年は家でやるのはムリ」だっただろうし、自宅では落ち着いた雰囲気で正月を過ごしたかったんだろう。
あ〜でもない、こ〜でもないと盛り上がって楽しかった。「ほら、○○ってバンドでドラム叩いてた○○ってヤツ...本名は何たっけ?いまどこで何してる?」「う〜ん...(と全員考え込む)」みたいな会話も相変わらず多かった。「あいつよ、あいつ...ほら、その...何たっけ?」...とにかく「何たっけ(何て言ったっけ)?」というフレーズが頻繁に飛び交うのが、懐かしくてメチャメチャ楽しい。
私ゃ手ぶらで参加したけど、べべさんはちゃんとギターを持参。例によって「何かやるかぁ〜」って話になって、昔懐かしい曲を中心にセッション開始。しまいにゃ大橋までギターで参加したくらいにして、これは必聴だったな。滅多に見聞きできるものじゃない!...まぁ「上手い下手」は別にしてね(笑)そこがまた楽しいっしょ。大橋よ、あんたホントいいヤツだな。
シルバーメタリックエイジのレギュラーメンバーでも、今回都合が悪くて出席できなかった人もいる。その「都合」の内容は「折り悪しく」や「先約あり」なら全然OK。でもメンバー自身の「体調不良」とかだったら、そういうのって「シャレにならない事態」を心配してしまうような年齢になりましたよ...お互い、私を含めて全員ね。
実は昨日、今回欠席したレギュラーメンバーの御母堂様の訃報が届いた。どうりで出席できなかったワケだが、それこそ「みんな、そんな世代になったよな」とも、改めて実感...謹んでお悔やみ申し上げます。
]]>本年もよろしくお願いいたします
2020年は、どんな一年になるんでしょうかね?どうか皆さんにとって、穏やかで素晴らしい一年でありますよう、心からお祈り申し上げます。
さて昨日は夫婦で、地元の神社へ初詣に行ってきた。
毎年「御神籤」は引いてるんだけど、でも書かれている内容を「この一年間の行動の指針」にした事はない...日めくりカレンダーに書いてある「二十八宿」と同様にね。とはいえ、今年は...
何となく「可もなく不可もない」って感じらしい。「何がゴタゴタがあっても、落ち着く先はよろしいから望みは失うべからず」「失物いずべし」「旅立はよからず」...ふ〜ん。
ちなみにウチのヤツは「大吉」で、「大吉」引いたのは人生初だそうだ。で、中に「旅立よし」という一文が...って事は「夫婦で旅行に行くな」って事か(笑)
話は変わって、本日は恒例の「シルバーメタリックエイジ新年会」に出席。今回は事情があって、これまでのメンバーからの拡大版だったんだけど...その詳細は、また後日ね。
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では前回投稿の予告通り、恒例の「Bass Life」で2019年の「四方八呆」を締めるとしますか...
3/9
3.11Support Forever Live Vol.2
(小樽GOLD STONE)
Stamp Band
AYA with HOT&COOL
5/18
(小樽GOLD STONE)
AYA with HOT&COOL
7/20
(小樽市マリン広場)
AYA with HOT&COOL
8/12
(A.LIVE)
SOVIET SUPPORT BAND
10/13
(A.LIVE)
AYA with HOT&COOL
11/2
(小樽GOLD STONE)
AYA with HOT&COOL
11/23
(A.LIVE)
AYA with HOT&COOL
11/24
(A.LIVE)
Stamp Band
なんだかんだ言って、今年も面白おかしくベースを弾く事ができて楽しかった。来年は、どんなライブが待ってる事やら?
本年もこの「四方八呆」...ご愛読ありがとうございましたm(_ _)m
では皆さま、良いお年をお迎えください!
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こことは別の場所だけど、ブログ(DOKUDAN)を書き始めたのは2005年2月1日から...って事は、来年で15年間書き綴ってきた事になる。でも、年末最後の記事を「Bass Life 20○○」と題して、その年一年のライブ活動を振り返る...という習慣にしたのは、2011年が最初。今年も、次回は例年通り「Bass Life 2019」と題して、今年1年のライブ活動をまとめてみようと思ってる。
いやぁ〜しかし...
「2011」(←Horumonism)「2012」・「2013」・「2014」(←餃子焼けたか)「2015」・「2016」・「2017」・「2018」(←四方八呆:現在連載中の、このブログ)
改めてバックナンバー読んでみたけど、懐かし〜なぁ〜
この「四方八呆」に移転して以降は「いつ・どこで・どのバンドで...+代表的な画像(ない場合もある)」というフォーマットにしたから「あ〜...そうそう...」と、何とか思い返す事ができる。でも2014年以前は(一部の例外を除いて)全く画像を添付してなかったから「えぇ〜っと...」ってな感じもしばしば。その年その時々のブログ内で全て記事にしているから、少なくともそれへのリンクくらいは貼っておくべきだったな。
次回投稿予定の「Bass Life 2019」については、今年一年の個々のライブについて「いつ・どこで・どのバンドで&代表的な画像(ない場合もある)」+「その時の記事へのリンク」という構成にして、後から読み返した自分が困らないような、完璧なフォーマットにしようと思ってる。後日(...と言っても「数日後」「数ヶ月後」「数年後」になるかは判らないけど)「あれ?あん時...?」って時に、即座に検索できるようにね。
あ...これは2008年の画像ですので、本文とは直接関係なし
なぁ〜んて「これから先もずぅ〜っとブログを書き続け、後日振り返る」という目線で書いてますが...さて、どうなるんでしょ?
今回は、次回への予告編でお終いです。
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姪っ子と旦那さんは子育て(生後2ヶ月ちょっと)が大変らしく、ぐったりって感じだったが...でもまぁ子を持つ親なら誰でも通る道だ、これは仕方ない。もう一人の姪っ子も、来年早々入籍するらしい。いやぁでも、おめでたい話ばかりで良い事っしょ。
先週は友人の父親(私の親父より4歳若い)のお通夜があったし、昨日は友人(私より10歳年上なだけの71歳)のお通夜もあったし、今月初めにも友人(私と同じ歳)が亡くなっている。
新たな命あり、前途洋洋な人生あり、燃え尽きた命あり...私ゃ来年も、色々体験する事だろう。おめでたい話にゃ〜なんぼでも参加したいが、葬儀会場の「花輪」や「フルーツ籠」に名を連ねるのは勘弁してほしいとも思ってる。少なくとも「来年は自分自身が仏事の主役(棺桶に入る役を含めて)にゃなりたくねぇ〜し、このメンバー全員と、来年もみんな元気で再会したい」と思ったよ...でも、こればかりは誰にも解らん。
ひ孫を抱く(私の)オフクロ
ところで今回の忘年会、娘は仕事だったのでウチのヤツと二人で参加。娘もそうだが彼女もほとんど酒は呑まないし、私としてはとても安心...心ゆくまで酔っ払う事ができる。案の定(例年通り?)すっかり酔っ払ってしまって、どうやって帰って来たのか完全に記憶が欠落しているな。
でも翌日、彼女から「とうさん、いい加減にしなさいよ」とか小言を全く言われなかったところを見ると大丈夫だったんだろう...どこがどう大丈夫なんだよ?その根拠は?って話は別にして(笑)...たぶんね。
最後の行は「いや、あなたの奥さんは、とっくの昔に諦めているのです」というツッコミを覚悟の上で書いてみた。
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んで、南小樽駅前で「ありがとね」と別れて、駅に入ったら...
「只今ナントカ方面の線路支障により、小樽方面、札幌方面とも列車が大幅に遅れております!」というアナウンス。え?と思って改めてスマホを見たら、坊さんの説教を聞いている最中の時間帯に、電車の遅延情報が入っていた。斎場では当然マナーモードにしてたし、確かに「ブルッ」と来た気もしたが「どうせ、いつ読んでも良いメールか何かだろう」と思ってたからなぁ〜
駅の電光掲示板を見たら、札幌方面の次の電車が来るまでに40分以上もある。待合室はごった返しているし、ベンチも当然空いていない。ここで立ったまま待つべきか...それとも、小樽駅前の自宅に戻る「ともぞう」を電話で呼び返すべきか?
やっぱり、今更呼び返すのは気の毒だと思ってね。結局ちょっと離れたバス停まで歩き、市内バスでさらに逆行して小樽駅まで行って、駅前の「ドンキ」で暇つぶし。そうと判ってたら、最初っから小樽駅まで頼むんだった...とほほ。
で、昨夜に続いて本日は...
定期的に通っている市立小樽病院に用事があり(診察じゃないよ)午前中に銭函駅へ。乗る予定の電車は定刻通り入線して、それに乗ったは良いが、あれ?っと気が付くくらい電車のドアが閉まらない。そしたら「この先の朝里駅までの区間で、線路点検をしております。発車まで、しばらくお待ちください」という車内アナウンスが...って、何だよそれ〜。
結局車内で30分近く待たされ、発車したは良いが朝里駅まで「徐行運転」...いつもなら、降車する南小樽駅までは15分もかからないが、本日は1時間近くかかってしまってグッタリ...とほほ。
いや!「とほほ」ではないっ!...これが「天変地異」とか「踏切事故」とか「鹿が飛び込んできて自殺した(?)」とかなら、まだ話は解らんでもない。でも、昨日も今日も「線路支障」や「線路点検」でしょ?(いつぞやの理由は、車両点検)
夏場も冬場も関係なく、しかも今始まった事でもないが、どうもこの「ごく基本的な日常の運行」に関わる不具合に関連する遅延・運休が多すぎる!
昨日も今日も「大暴風雪」だったとか「気温がマイナス数十度」だったワケじゃないっしょ。昔のCMで「冬こそJR」と高らかに自慢してたのを、私ゃ決して忘れてないぞえ!
10月から「1.02倍」どころか「1.2倍以上」運賃を値上げしておいて、その言い訳に不満がある私としては尚更、何だよこのザマ...と、余計に腹が立つ。
まぁ確実に30年以上JR北海道ユーザーである私が文句を言っても、誰も文句あるまい。どうせ関係者(とりわけ、お偉方)は、誰も読んでねぇ〜し。
本日の日めくりカレンダーには「進むに吉」って書いてあったんだけどなぁ〜...とほほ。
いや!「とほほ」ではないっ!...と、ふと我に帰り、何行か前に戻って延々と無限ループしたい気分です。
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お店の雰囲気といいBGMといい、正に「1980年代の昭和」という感じ。ちょっと耳を傾ければ、ノスタルジックな「昭和後期歌謡ポップス」のオンパレード...そこへもってきて、出てくる料理がこれまた全部美味かった。
メインの「鍋」が絶品だったんだけど、とにかく出てくる料理をガツガツ食うのに夢中。ふと気がつくと、皆んなで具材を掻っさらった後の、シメの「うどん」の画像しか撮れなかった(笑)でもとにかく「肉」も「魚」も、全部美味かった...ごちそうさんでした。
二次会は、こちらも「ちょんこ」がセッティングした「うたごえスナック」へ。マスターや、他の見ず知らずのお客さんを巻き込んで「大カラオケ&ダンス」大会。あ、でもマスターの場合は「巻き込まれた」というより「自分から積極的にお客さんに混じり込んで行って、盛り上げるのが大好き」という「エンターティメントこそ我が天職」って感じだったか...私にゃ100%ムリだから、尊敬しちゃうわ。
いやぁ〜でも...こういう雰囲気ってモノ凄く久しぶりで、楽しかった。我らがStamp Sistersの三人やrikaちゃん・兄貴も、張り切ってたしなぁ〜♡
注)この衣装はマスターの意向を反映した、お店の備品です
こういう「ごくごく一般的な、いわゆる忘年会」って、会社勤めしてた時以来かな?ただ、会社の忘年会と違って「過ぎた事は忘れて、来年も頑張ろうね」に徹した(小難しい話は一切抜きの)文字通りの催しで楽しかったぁ〜...ちょんこ、お疲れさまでした。
しかし個人的に、ちょこっとだけ失敗した事がある。一・二次会とも「飲み放題」だったので、ハイボールを何杯飲んだか覚えてないくらいガバガバ飲んでたんだけど、どちらの店もその濃度が...飲めば飲むほど、酔う前にどんどん目が冴えてきちゃってさ。私ゃ二次会でお別れして帰ったんだけど、小樽駅への道すがらコンビニで「濃いめの缶チューハイ」を買って終電の車内で飲んだ。でも、さらにさらに目が冴えてくるばかりで、帰宅して寝床についたは良いが中々眠れず...結局起き出して、いつもの焼酎を飲み直してしまった。
新年会は「乾杯用のビール」を飲んだら、あとは終始「焼酎のロック」で行くわ(笑)
]]>2019年7月に「高血圧」と判定された私。原因は「元々血圧は高めだったのに、しょっぱいものが大好き」な私が(退職後ほぼ毎日)自分の好きなものを好きなだけ作って食べ続けていた「塩分過剰の昼食」に決まってる。「1日の食塩摂取量は6g未満」を推奨(ってか、義務付け)された事だし、身体的に将来起こり得るリスクをいくらかでも回避するためにも、今は「自作昼食の塩分は2g未満」を常に心がけている毎日。
ある日ウチのヤツから「たらこがあるから、明日のお昼は『たらこスパゲッティ』を皆んなで食べよう」という提案があった。我が家では何故か昔っから「たらスパ」は私が作る決まりになっている。「おっ、良いねぇ〜...久しぶりだしなぁ〜」と返事したは良いが、待てよ...と。
何だか「たらこ」って、いかにも塩分の塊のような気がしてね。そこで「たらこ 塩分」で検索してみたら、意外にそうでもない事が判明。もちろん結構バラツキがあるし、極端な数値を掲載しているサイトもあったけど、結局は100gあたり「多めに見積もっても6gが良いところ」って感じ。今回のたらこは少々小ぶりで、一人前の基準にしている半腹(つまり、例の一塊)は25gほどしかない...って事は、たらこ自体の一人前の食塩相当量は、せいぜい1.5g程度だろうと推測。まぁ他にもスパゲッティを茹でる時に塩を加えるし(個人的には、水1ℓに塩を小さじ山盛り1杯...つまり7〜8gくらいが丁度良く、これにより麺に加わる食塩相当量は1.3g程度...こちら参照)バターも使う。とはいえ、それでも一人前の食塩相当量は、これまた大雑把だけど3.0g以内には収まるだろうと自己判断。確かに「昼食の塩分は2g未満」という点では完全に掟破りだけど、でも自分の分だけ「無塩でスパゲッティを茹でる」までもあるまいと。まぁ、たまにゃ〜良いべ...何せ「食塩相当量3.0g程度の昼食」なんて、7月以降一度も口にしてなかったからな。
で、親子三人で久しぶりの「たらこスパゲッティ」を食べた...なまら美味かったわ(自画自賛)
まぁそれはそれで良いとして、我が家は三人家族。一人前半腹使うと、ちょうど半腹残る。それを過日、昼飯に「一人たらスパ」を作って消費しようと試みた。そん時ゃスパゲッティを茹でる時に塩は加えなかったから、掟通り「塩分2g未満」に収まったはず。で、食べてみたのは良いんだが...
ん〜〜〜...確かに「たらこ」の味はするし「バター」の風味もする。でも、麺自体が味も素っ気もないので「不味くて食えたもんじゃない」ってワケでなないが「こりゃこれでアリ」という感じもしない。
「ケチャップ」や「ピザソース」を加えて「ナポリタン」仕様にするなら、スパゲッティを無塩で茹でても何とかなる。でも「たらスパ」や「ペペロンチーノ」にするなら、茹でる段階で「塩」の投入は必要不可欠...やはり麺自体に味がついてないとダメだな。
たらこ半腹を私一人で食うなら、わざわざスパゲッティと和えるまでもなく「素直に飯の上に乗っけて食べた方が、梅干しより遥かにマシ」ってところか。
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