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    ブログ・移転します

    • 2020.02.01 Saturday
    • 10:25

    今朝、日めくりカレンダーを読んだら特に何も書かれてませんでしたが...本日2020年2月1日は「何の日」かご存知ですか?

     

    実は本日は、私が15年前に初めてブログを書き始めたという「ブログ記念日」なんですよ(知るかよってかw)...「DOKUDAN」というタイトルでブログを書き始めたのが2005年2月1日(最初の記事はこちら)で、そこで242件。2008年5月25日からは「Horumnism」で304件。2012年4月22日からは「餃子焼けたか」で300件。そしてこの「四方八呆」は2015年5月1日から書き始めて、この記事が497件目。で、全部トータルすると、この15年間(5,478日間)で1,343件か...長ぇ〜な(笑)

    まぁ今まであれこれタイトルを変えてきた理由は「(タイトルに)飽きてきた」「環境が変わった」など様々ですが。

     

    タイトル的には、この「四方八呆」が一番長くて(4年9ヶ月)しかも、あと3件で500件に到達するところだった。私が使っているモニターの縦は1,080pxなんだけど、月別の「archives」は、とっくの昔に画面を突き破ってしまってる。キリの良いところで、500件に達したら別なタイトルで始めようかとも思ったんだけど...

     

     

    何たってこの「四方八呆」を書き始めた頃から約5年の間でさえ、私をめぐる環境もずいぶん変わった。主に身体的な面だけど、カテゴリー的にも「実は健康志向」としてえっちらおっちらやって体重を落とし、状態を維持して健康体で無事に還暦を迎える事ができたと思ったら、今度は「私ゃ高血圧」ときたもんだ。もう60を過ぎた私だ...これからまた「身体上の不具合」が、新たに発見される可能性は、ぐんと高まるだろうし。

     

    これから先、いつまで書き続ける事ができるのか全く解らないけど、もう16年目に突入したし、この際一度リセットボタンを押すのも悪くないかな?と思ってね。実は昨年末から色々移転先を探してたんだけど、その目処が立ったので引っ越しする事に。この「四方八呆」はもう更新しないけど、この度はこちら...

     

    猫舌な戌

    (ねこじたないぬ)

    https://nekojitanainu.seesaa.net

     

     

    で、新たな気持ちで書き始めました。よろしければ上記のリンク先を「お気に入り」に加えていただき、今後ともご愛読の程をよろしくお願いします。

     

    今までの15年間もずっとそうでしたが、管理メニューで「例え私一人しかアクセスしている人がいない」状況が続いたとしても、これからもブログは書き続けます。「もういいわ」と言われても、絶対メゲません(笑)

     

    15年か...ブログを書き始めた時に中学生だった娘も、現在30歳ですよ...我ながら、良く続けてきたもんだわ。

    町内会総会

    • 2020.01.28 Tuesday
    • 23:44

    26日(日)は町内会の総会があって、私も参加してきた。ウチが所属しているのは7班で、班長は順番に持ち回り。だいたい9〜10年ごとに役目が回ってきて、今年は我が家。どうでも良い話だけど「ナナハンノハンチョウ」という言葉の響きは、何となく好き。

     

     

    総会に出席するなんて久しぶりだったけど、過去何回か出席した事がある総会同様「除・排雪」関連の質疑応答が若干あったくらいで、あとはいわゆる「しゃんしゃんしゃん」で終了。懇親会は欠席したけど、弁当を持たせてくれた。

     

    ここに引っ越してきてから30年ちょっとだけど、昔は葬儀の会場はお寺で、町内会で仕切ってた。職業柄お金を数えるのは得意なので(貯めるのは苦手w)良く「会計」を仰せつかったよ。今は皆んな葬儀屋さんのナントカ会館とか使うから、そういう事も全くなくなった。なかなか良いコミニュケーションの場だったんだけどなぁ。

     

    今年は班長だけど、例年そうでない時も、草刈機の扱いには慣れているから、年に一度の公園の整備や空き地になっている場所の草刈りには必ず参加している。資源回収の時は、集まった廃品を業者に引き渡す時、毎回トラックの荷台に上がって積み捌きをする係。そういう「実働部隊」としては、私ゃ未だ「若手」に入るんだよな。ウチの班にも何年か前に、やっと私より年下の世帯が引っ越してきたけど、昨年は明らかに高齢なご夫婦が引っ越してきた。ウチの町内会は200世帯ほどだけど、高齢化が進んでいるな...小樽市内なら、どこでもそうか。

     

    近年、近所に住む方の孫たち(未就学児童)が地方から遊びにきては、私の家の前で元気に遊んでるシーンを良く見かけるようになった。この孫たちの親が小さかった頃は「おじさん」と呼ばれていたが、その子供が産んだ子供たちからは「おじいちゃん」と呼ばれている。ウチの町内じゃ、まだ若手なんだがな...ま、他人の孫たちとは言え、可愛いから許す(笑)

    今年こそ!

    • 2020.01.09 Thursday
    • 14:45

    皆さんは「来年こそ○○したい」「来年こそ○○を目指す」「来年は絶対○○する!」等々、昨年末に決意や計画とかしましたか?私ゃ毎年のようにしてますが、毎年のように「結局○○はできなかったけど...ま、いっか」と、その年の忘年会を迎えるパターンがほとんど。

     

    それでも、昨年末いくつか決意した事があります。その中の一つが...「来年(つまり今年)こそ、日めくりカレンダーをちゃんとめくりたい!」

     

    「意味不明」でしょう、普通はね。まぁ、こちらの画像をご覧ください。私ゃ毎日便器に腰かけるついでに、真正面に見える「日めくりカレンダー」を1枚ちぎるのが日課。でも、昨年は誠に残念な結果に終わってしまいまして...

     

     

    解りますか?この「ちぎった後の、不揃い具合」...これが去年のある時期から、急に気になり出し始めてね。気になり出したら、気になって気になって仕方ない...これをパソコンで読んでいる方は、気になって以降はきれいな切り口になっているのがお解りいただけるかも。そんで、ついにある日「昨日までのこの切り口を、何とか綺麗に揃えられないものか」と挑戦してみたさ。でも、手(指)を使っての修復はムリな(かえって事態を悪化させる)事が判明。

     

    かといってカッターナイフを持ち出す程のものでもないし、日常でも大用の時にわざわざカッターナイフや定規を持ち込む程のものでもない...で昨年は、気にしつつも放置する事に。気になり出すのが、余りにも遅過ぎたわ。

     

     

    今年はまだ始まったばかりだけど、ご覧のように一応順調にちぎれているが...ま、この集中力がいつまで続くか解らないし、そのうち不用意に「ベリッ」とやって、気がつくと「あ〜...(T - T)」という日が来るかも(で、忘年会で「ま、いっか」となる)

     

    今更だけど「ミシン目が付いた日めくりカレンダー」って、売ってんのかな?いつぞやも書いたけど、ちぎってそのまま便器へ流せる紙製なら、なお一層Goodなんだがな。

     

    さて今週月曜日は、バンド仲間の御母堂様のお通夜に参列した...故人は1936年生まれ。で、本日はこれから、ガキの頃良くお世話になった叔母のお通夜、葬儀に行ってくる。故人は1935年(昭和10年)生まれで、私のオフクロと同い年の84歳だ。偶然だけど、似たような年齢の二人が、立て続けに亡くなった事になる。

     

    一応私のオフクロは、多少ボケが入っているとはいえ、親父と二人で実家で健在。今のところ亡くなられたお二人と違い、闘病生活とは無縁ではいるけども、どうだかな〜...覚悟はしてるけどね。

    シルバーメタリックエイジ新年会

    • 2020.01.05 Sunday
    • 06:03

    1月2日は、恒例の「シルバーメタリックエイジ新年会」に参加。この会で年に1度しか会えないメンバーも結構いるんだけど、昨年はメンバー全員の共通の友人が亡くなって、お通夜の席で顔を合わせた人もいた。会えたのは嬉しいけど「どうせ会うなら」という感じもする。これから、そういう機会が増えるかもなぁ...

     

    会場は、昨年末に移転オープンした「A.LIVE」...初めて入ったけど、雰囲気は「ライブステージエリアを備えた、広めのスナック」って感じだった。前の店舗は、小樽の「歴史的建造物」を改装したものだから「カルチャーの発信地」みたいな雰囲気だったけど、今度のは「元レストパブ」だから、こちらの方が「いかにもライブバー」的な感じかな?

     

    今回は、これまた毎年同じ日に大橋(スターレスNEO)の自宅で開催している、我々シルバーメタリックエイジから見れば「若者中心」(と言っても、全員4〜50代だがね)の新年会メンバーも一部参加。大橋自身が昨年は身内の不幸が重なって「今年は家でやるのはムリ」だっただろうし、自宅では落ち着いた雰囲気で正月を過ごしたかったんだろう。

     

    あ〜でもない、こ〜でもないと盛り上がって楽しかった。「ほら、○○ってバンドでドラム叩いてた○○ってヤツ...本名は何たっけ?いまどこで何してる?」「う〜ん...(と全員考え込む)」みたいな会話も相変わらず多かった。「あいつよ、あいつ...ほら、その...何たっけ?」...とにかく「何たっけ(何て言ったっけ)?」というフレーズが頻繁に飛び交うのが、懐かしくてメチャメチャ楽しい。

     

    私ゃ手ぶらで参加したけど、べべさんはちゃんとギターを持参。例によって「何かやるかぁ〜」って話になって、昔懐かしい曲を中心にセッション開始。しまいにゃ大橋までギターで参加したくらいにして、これは必聴だったな。滅多に見聞きできるものじゃない!...まぁ「上手い下手」は別にしてね(笑)そこがまた楽しいっしょ。大橋よ、あんたホントいいヤツだな。

     

     

    シルバーメタリックエイジのレギュラーメンバーでも、今回都合が悪くて出席できなかった人もいる。その「都合」の内容は「折り悪しく」や「先約あり」なら全然OK。でもメンバー自身の「体調不良」とかだったら、そういうのって「シャレにならない事態」を心配してしまうような年齢になりましたよ...お互い、私を含めて全員ね。

     

    実は昨日、今回欠席したレギュラーメンバーの御母堂様の訃報が届いた。どうりで出席できなかったワケだが、それこそ「みんな、そんな世代になったよな」とも、改めて実感...謹んでお悔やみ申し上げます。

    謹賀新年2020

    • 2020.01.02 Thursday
    • 23:12

    皆さま、あけましておめでとうございます

    本年もよろしくお願いいたします

     

    2020年は、どんな一年になるんでしょうかね?どうか皆さんにとって、穏やかで素晴らしい一年でありますよう、心からお祈り申し上げます。

     

    さて昨日は夫婦で、地元の神社へ初詣に行ってきた。

     

    毎年「御神籤」は引いてるんだけど、でも書かれている内容を「この一年間の行動の指針」にした事はない...日めくりカレンダーに書いてある「二十八宿」と同様にね。とはいえ、今年は...

     

     

    何となく「可もなく不可もない」って感じらしい。「何がゴタゴタがあっても、落ち着く先はよろしいから望みは失うべからず」「失物いずべし」「旅立はよからず」...ふ〜ん。

     

    ちなみにウチのヤツは「大吉」で、「大吉」引いたのは人生初だそうだ。で、中に「旅立よし」という一文が...って事は「夫婦で旅行に行くな」って事か(笑)

     

    話は変わって、本日は恒例の「シルバーメタリックエイジ新年会」に出席。今回は事情があって、これまでのメンバーからの拡大版だったんだけど...その詳細は、また後日ね。

    実家de忘年会

    • 2019.12.23 Monday
    • 17:12

    21日(土)は一族郎党実家に集合して、ささやかな忘年会。今年は小さいメンバーが新たに一人加わって、盛り上がった。

     

     

    姪っ子と旦那さんは子育て(生後2ヶ月ちょっと)が大変らしく、ぐったりって感じだったが...でもまぁ子を持つ親なら誰でも通る道だ、これは仕方ない。もう一人の姪っ子も、来年早々入籍するらしい。いやぁでも、おめでたい話ばかりで良い事っしょ。

     

    先週は友人の父親(私の親父より4歳若い)のお通夜があったし、昨日は友人(私より10歳年上なだけの71歳)のお通夜もあったし、今月初めにも友人(私と同じ歳)が亡くなっている

     

    新たな命あり、前途洋洋な人生あり、燃え尽きた命あり...私ゃ来年も、色々体験する事だろう。おめでたい話にゃ〜なんぼでも参加したいが、葬儀会場の「花輪」や「フルーツ籠」に名を連ねるのは勘弁してほしいとも思ってる。少なくとも「来年は自分自身が仏事の主役(棺桶に入る役を含めて)にゃなりたくねぇ〜し、このメンバー全員と、来年もみんな元気で再会したい」と思ったよ...でも、こればかりは誰にも解らん。

     

    ひ孫を抱く(私の)オフクロ

     

    ところで今回の忘年会、娘は仕事だったのでウチのヤツと二人で参加。娘もそうだが彼女もほとんど酒は呑まないし、私としてはとても安心...心ゆくまで酔っ払う事ができる。案の定(例年通り?)すっかり酔っ払ってしまって、どうやって帰って来たのか完全に記憶が欠落しているな。

     

    でも翌日、彼女から「とうさん、いい加減にしなさいよ」とか小言を全く言われなかったところを見ると大丈夫だったんだろう...どこがどう大丈夫なんだよ?その根拠は?って話は別にして(笑)...たぶんね。

     

    最後の行は「いや、あなたの奥さんは、とっくの昔に諦めているのです」というツッコミを覚悟の上で書いてみた。

    何やってんの?JR北海道

    • 2019.12.19 Thursday
    • 19:07

    昨夜は、友人の父親のお通夜があった。斎場は、南小樽駅と小樽築港駅のちょうど中間。滞りなく済んだ後、Stamp Bandの「ともぞう」が車で送ってくれるってんで、私ゃ「じゃぁ、南小樽駅まで」と頼んだ。私が降りる「銭函」とは逆方向だ(小樽築港駅の方が近い)けど、どちらの駅から乗っても運賃は一緒だし、南小樽駅には「セブンイレブン」が併設されているからね。そこで缶チューハイ(か、ハイボール)でも買って、電車ん中で一杯やりながら帰ろうと思ってさ(小樽築港駅に、キオスクはない)

     

    んで、南小樽駅前で「ありがとね」と別れて、駅に入ったら...

     

    「只今ナントカ方面の線路支障により、小樽方面、札幌方面とも列車が大幅に遅れております!」というアナウンス。え?と思って改めてスマホを見たら、坊さんの説教を聞いている最中の時間帯に、電車の遅延情報が入っていた。斎場では当然マナーモードにしてたし、確かに「ブルッ」と来た気もしたが「どうせ、いつ読んでも良いメールか何かだろう」と思ってたからなぁ〜

    駅の電光掲示板を見たら、札幌方面の次の電車が来るまでに40分以上もある。待合室はごった返しているし、ベンチも当然空いていない。ここで立ったまま待つべきか...それとも、小樽駅前の自宅に戻る「ともぞう」を電話で呼び返すべきか?

     

    やっぱり、今更呼び返すのは気の毒だと思ってね。結局ちょっと離れたバス停まで歩き、市内バスでさらに逆行して小樽駅まで行って、駅前の「ドンキ」で暇つぶし。そうと判ってたら、最初っから小樽駅まで頼むんだった...とほほ。

     

    で、昨夜に続いて本日は...

     

    定期的に通っている市立小樽病院に用事があり(診察じゃないよ)午前中に銭函駅へ。乗る予定の電車は定刻通り入線して、それに乗ったは良いが、あれ?っと気が付くくらい電車のドアが閉まらない。そしたら「この先の朝里駅までの区間で、線路点検をしております。発車まで、しばらくお待ちください」という車内アナウンスが...って、何だよそれ〜。

    結局車内で30分近く待たされ、発車したは良いが朝里駅まで「徐行運転」...いつもなら、降車する南小樽駅までは15分もかからないが、本日は1時間近くかかってしまってグッタリ...とほほ。

     

    いや!「とほほ」ではないっ!...これが「天変地異」とか「踏切事故」とか「鹿が飛び込んできて自殺した(?)」とかなら、まだ話は解らんでもない。でも、昨日も今日も「線路支障」や「線路点検」でしょ?(いつぞやの理由は、車両点検)

     

    夏場も冬場も関係なく、しかも今始まった事でもないが、どうもこの「ごく基本的な日常の運行」に関わる不具合に関連する遅延・運休が多すぎる!

    昨日も今日も「大暴風雪」だったとか「気温がマイナス数十度」だったワケじゃないっしょ。昔のCMで「冬こそJR」と高らかに自慢してたのを、私ゃ決して忘れてないぞえ!

     

     

    10月から「1.02倍」どころか「1.2倍以上」運賃を値上げしておいて、その言い訳に不満がある私としては尚更、何だよこのザマ...と、余計に腹が立つ。

     

    まぁ確実に30年以上JR北海道ユーザーである私が文句を言っても、誰も文句あるまい。どうせ関係者(とりわけ、お偉方)は、誰も読んでねぇ〜し。

     

    本日の日めくりカレンダーには「進むに吉」って書いてあったんだけどなぁ〜...とほほ。

     

    いや!「とほほ」ではないっ!...と、ふと我に帰り、何行か前に戻って延々と無限ループしたい気分です。

    弟の孫

    • 2019.11.15 Friday
    • 21:52

    本日は「弟の娘(つまり、私の姪っ子)夫妻が、先月生まれた娘を披露しに、弟夫妻(彼等にしてみれば孫)と一緒に」我が家に来てくれた。何かどこかで書いたような気もするけど「弟の孫=姪っ子の子供」って、何て呼称すれば良いんだっけ?

     

    まぁ、とにかく可愛いね。今まで私の周囲でも(私より歳が若い人がほとんどだけど)既に立派に「じいさん、ばあさん」になっている友人たちから「孫はね...可愛いよぉ〜♡」という話は良く聞いてる。私も「そりゃそうだべ...なんもかんもなく(...って当地の言葉ですが、要するに「無条件で」って意味)可愛いに決まってる」って思うし、Facebookに「孫の成長」をアップしている人の気持ちも、十分すぎるくらい解ってるつもりですよ、はい。

     

     

    こういう「赤ちゃんを抱く」って感触は、数十年ぶり。しかも私ゃ、母親である姪っ子と、弟の奥さん(つまり、ばあちゃん)の次にこの子に触れている時間が多かった気がする。でも、全然緊張しなかったのはなぜだろう?「昔取った杵柄」って感じだったんだろうか。ほら、良く「泳ぎとチャリンコは、一度覚えたら絶対に忘れない」って言うっしょ(...言わないかw)

    誰かから「手慣れたもんだわぁ〜」と言われたけど、当然私ゃ無意識だった。まぁ、そんなもんなのかもね。

     

    なにはともあれ健康で、すくすくと育ってほしいね。

    高橋卓二氏を偲んで

    • 2019.11.03 Sunday
    • 17:16

    11月1日に「高橋卓二」氏が亡くなったという連絡を、複数の知人を通して受け取った。ちょっと前から「10月20日に心筋梗塞で倒れ、症状は...」といったような情報も受け取ってはいたが、やはりダメだったか...彼は私と同い年なはず。

     

    昨夜は小樽市ゴールドストーンで、高校時代からの旧知であるギタリスト「(雷神)古俣」の「生誕60年記念ライブ」があり、AYA with HOT&COOLも出演した。でも正直な話、事前にやった数回の音合わせは、何となく集中できなかったな。特に本番と打ち上げでは「今頃、彼のお通夜が執り行われているんだろなぁ〜」と思うと「これからも元気で活躍して欲しい人」と「本人の意思とは無関係に、その望みを断たれてしまった人」という思いが交錯して、何とも言えない複雑な気持ちだった。ただそれは、バンドのメンバーやお客さん、雷神本人には関係ない話だ...とはいえ私ゃ「それはそれ、これはこれ」と割り切れるほど懐が広い人間とは言えない。めでたく、記念すべきライブと打ち上げだったが、十分に楽しめたかと言うと...良く解らない。

     

    雷神には悪いが、ライブの話は後回しにさせてもらおう。

     

    高橋卓二氏と最初に出会ったのは、80年代後半に札幌で立ち上がったプロジェクトに呼ばれた時。彼は当時既に「卓ちゃんなら、任せて安心」ってくらい定評があるオペレーターで、90年代前半くらいまでレコーディングやライブなどで一緒に仕事をしてた。当時の私としては小樽の田舎から呼ばれただけでも光栄だったし、私以外のメンバーや、彼を含めた一流の皆さんと一緒に活動できて、貴重な経験をさせてもらっていた時期だったな。

     

     

    彼とは、妙に馬が合った。「演奏する側」と「スタジオのガラスの向こうや客席で『音』をコーディネートする側」という立場の違いはあったけど、ホント一緒に仕事をしていて楽しかった。機材を含め「レコーディングやライブ」に関連するあらゆる分野で、彼の豊富な経験に基づいた、大変参考になる話もたくさん聞かせてもらった。地方でのライブの時に彼の運転する車の助手席に座り、道中二人で色んな話に花を咲かせた事もあった。

     

    一段落した後も、年賀状のやりとりは継続していた。何年か前からは「Facebook」でも繋がった。バリバリ第一線で活躍している姿も見ていたし、私も彼の投稿に、たまにコメントを寄せたりもしてた。

     

    彼自身と最後に会ったのは、昨年11月末に小樽市マリンホールで開催されたゴスペルコンサートを観に行った時。開演前に客席を見渡すと、ミキサーの前に彼の姿が。で、終了後に早速駆け寄って「いやぁ〜しばらくだねぇ〜!元気そうで何より」とお互い言葉を交わし、お客さんがほぼハケる前までの短い時間だったけど、近況なんぞを語り合った。

     

    そういや一昨年の年賀状だったかな?...「まっちゃんのベースが聞きたい」とコメントが書いてあったのも思い出した。

     

    彼のような「裏方とはいえ、あらゆる意味で皆んなに、得難い安心感を与えてくれる」人って、そういない。私も含め、彼と一緒に仕事をした事がある人たちは、全員そう思っていると確信する。昨夜のライブの控え室でも、札幌に進出した事があるバンドのメンバーから、彼の死を悼む声を聞いた。

     

    あれこれと色んな事を思い出す度に「え?俺って、このまま死んじゃうの?」と思ったかも知れない、彼の心の内を想像してしまう。それどころではなかったかも知れないが、いずれにしても体調不良を自覚した時の彼の不安を思うと、胸が張り裂けそうだ。そしてそれは、私の想像力の限界をはるかに超えている。私と同じ歳だよ、この私と...さぞ無念だったでしょう。

     

    安らかにお眠りください。

    「パッ缶」じゃない缶詰

    • 2019.10.31 Thursday
    • 14:22

    先日「かなり前にもらったカニ缶が2個あるんだけど、賞味期限が近いのがあるから、食べちゃわない?」とウチのヤツが言うので「おぉ〜、じゃあ食っちまうべ」という事になってね。賞味期限に関しては割と無頓着な彼女にしては、極めて珍しい提案と云える(笑)

     

    で、私が晩飯に「カニ玉丼」を作って親子三人で食べた。まぁそれはそれで良いとして...

     

    この2個のカニ缶、一つは普通の「イージーオープン缶(いわゆるパッ缶)」だったんだけど、もう一つは「ごく普通の」缶詰。いざ開けようという時に「さて、缶切りはどこいった?」って話になってさ。二人で台所の引き出しを漁り回って、いよいよ見つからなければ、私が持っている「サバイバル用の多機能ナイフ」にも缶切りが付いているから、それを使おうかと。でも無事発見できて、事なきを得た。

     

     

    缶の蓋を切ってる時に「はて、こう言う作業って...何十年ぶり?」と思ったよ。若い頃は、とにかく「缶詰」と名が付くものは全てこうして缶切りで開けていて、例外は「コンビーフの缶詰」くらいだったはず。スーパーで目撃する「サバ缶」「ツナ缶」「サケ缶」「コーン缶」「トマト缶」「パイナップル缶」「オイルサーディン」等々...あらゆる缶詰は、今ではほぼ「パッ缶仕様」になってるんでしょ?きっと。今でも売っている、お馴染みの「マルハニチロのさんま蒲焼」の、あの「角が丸い長方形」をした缶詰だって、今では「パッ缶」になってるし。私が若い頃は、缶切りを使って開けていたんだがね。

     

    食後に娘に空き缶を見せて「あんた、こんな風に缶切りを使って缶詰の蓋を開けた事ってある?」と問うと「大学時代のサークルのキャンプの時に、一度あったような...でも今、缶切りと缶詰を渡されて『開けろ』と言われたら、要領を思い出すまで、ちょっと苦労するかも」との事だった。まぁ、無理もない話か。

     

    今回発掘して使ったのは、上の画像の空き缶と一緒に写っている「缶切り兼栓抜き」なんだけど、今は「どちらの機能も必要としない」缶詰や容器だらけだからなぁ〜。次に使うのは、何年後だろうか?

     

    そういや「缶切り+栓抜き+ワインのコルク抜き」が、三位一体になったツールもあったな。独身時代の実家で使っていたけど、我が家では見たことがない。今でも売ってんのかな?

    「しゃぶしゃぶ」パーティー

    • 2019.10.24 Thursday
    • 17:05

    22日(火)は、いつものように浅田さんちで「とりあえずASADA BAND」の音合わせ。で、終了後は「しゃぶしゃぶ鍋を囲む会」を開催。理由は...特にない(笑)まぁ以前「しばらく皆んなと飲んでないし、たまにゃ良いべ」って話が持ち上がっていて、それを実行に移したって感じ。メンバーは、浅田夫妻・宮木夫妻・本間夫妻と私。

     

    こういう会の定番、料理上手な本間夫人の手作り料理も豪華に並んで、鍋を囲みながら腹いっぱい食べて飲んで歓談して...楽しかったねぇ〜

     

     

    そういえば、ヨシローさんが亡くなってから、来月で1年になる。浅田さんがオヤジ同然なら、ヨシローさんはオジキ同然の人だった。彼が残した膨大なリードシートを肴に、話が弾んだりもしたな。私ゃ今にも入り口のドアが開いて「おっ、盛り上がってるなぁ〜」と、彼がひょっこり顔を出すんじゃないかと...

     

     

    とにかくもう、散々飲んで食い散らかして帰ってきた。バーボンなんかしばら〜くぶりだし、ボトルに半分ほど残ってたのを私一人で全部飲んじゃったから、宴会後半は記憶が欠落している。上の画像で則子さんが持っている紙袋は、翌朝ウチのヤツが玄関で発見。中を見たら、則子さん手作りの「餃子」が入ったタッパと「ぶどう」が入ってた。おみやげで持たせてくれたんだと思うんだけど、良く電車ん中に置き忘れずに持って帰ってこれたものよ...って、自慢してどうする(笑)その日の昼に早速「餃子」を焼いて食べたけど、昨夜の「しゃぶしゃぶ」同様めちゃめちゃ美味しかったです。ごちそうさまでした。

     

    浅田さんは、御年78歳。この四人で今年も年末にライブを予定してるけど、数年前から毎年のように「これが最後のライブだ」って言い続けているんだよね。まぁそんな事言わずに...

     

    ここまで現役なら、ついでに「米寿」までやりましょうよ。そん時ゃ私は「古希」を超えていいて、このブログのサブタイトルが実現するワケですから。

    「還暦祝い」パーティー

    • 2019.10.21 Monday
    • 21:42

    1978年...私が20歳を迎える頃、小樽市で若者を中心に「歴史的な小樽運河や石像倉庫群を埋め立て解体するのではなく、その周辺の景観を活かした街づくりをするべき」という趣旨のもと、その具体的な提示である「Port Festival in Otaru」という画期的なイベントが、小樽運河周辺を舞台に初めて開催された。その後も「会場内の施設等全て手作り、数十名の中心となるスタッフは(年齢職業全てバラバラの)完璧に全員ボランティア、プロの出店はお断り」という姿勢を変えず、20回近くに渡って毎年毎年十万人規模の「」

     

    ...と、何とかまとめようと、昨日はほぼ一日通してパソコンに向かってた。でも、この「ポートフェスティバル・イン・オタル」についての思い出と思い入れと「現在に至る、スタッフ間の交流」を書き始めると、修士論文1〜2本は書ける。結局このブログ内ではムリだから、諦めた(...言い訳と言うなw)

     

    とにかく19日(土)は、その40年来の付き合いがある連中の中の4名が無事「満・還暦」を迎え(1959年生まれ)そのお祝いパーティーに参加してきた。対象者は「木本」「社長」「めいちょう」「吉岡」(敬称略)

     

     

    実に楽しかった。私ゃ今回の主役への「サプライズ企画」の関係上、早々と会場入りしてね。で本番前に、今回のパーティーの仕掛け人たちと「乾杯のリハーサル」を繰り返していて、昔懐かしい思い出話で既に絶好調。

    本番が始まってからも、当の4人はもとより、こういう機会がなければ滅多に顔を合わす事がなくなった連中とも再会・談笑できて、ホント楽しかったね。

     

     

    昨年の対象者は私一人だけで、同じようにお祝いをしてもらった。ただし、今回と違って私自身に全く事前通告もなく、抜き打ち・騙し討ち的なサプライズなお祝いで、しかもタイトルは「松っあん感謝祭」だったけど(笑)でも嬉しかったし誇らしかったし、そういう気持ちは、今回の4人も全く同じでしょう。

     

    本来なら「この場に居るべき人」が、居なくなってしまった人も...とにかく、これからも続々と後に続く仲間(ってか、戦友?)たちや先輩方と、こういうパーティーを極力誰一人欠ける事なく続けられる事を願ってやまないね。

     

    何たって...

     

     

    これはおそらく1980年頃の画像だと思うけど「会社員」「フリーター」「自営業」「学生」「公務員」「教師」「年齢」等々、様々な連中が「肩書き」「社会的地位」に全く関係なく、全員で一つになって作り上げた「Port Festival in Otaru」だからね。お互い他人ではあるけど、近くにいるヘタな親戚よりも濃い絆で結ばれて数十年...これからも、みんな元気でいてほしいから。

    スカイレストラン

    • 2019.10.04 Friday
    • 15:53

    本日は、小樽市立病院(いわゆる樽病)に行ってきた。予約制の診療科目じゃないし(いや、例え予約制の科目であっても)自動受付してから診察室に入るまで1時間半以上待たされるのは当たり前。午前11時10分頃に病院に着いて、診察してもらって診療費を払ったのはちょうど午後1時。腹も減ったし「どこかで何か食ってから帰るか?」という事で、そんな時の定番...最上階にある食堂「美味しんぼ」で腹ごしらえ。

     

    樽病の2階には、コンビニ「セブン・イレブン」も入っている。そこで買ったものを、店の前にある「休憩・談話コーナー」みたいな場所で食べる事も可能だけどね。

     

    ホントここ、眺めが良いんだよねぇ〜。ただし、お店の中は「窓の下」ではなく「窓と窓の間」にテーブルを置かざるを得ない構造になっているので、食べている最中の真横に見えるのは、余り面白くない「普通の住宅街」だけ。でも食前食後は、こんな景色を見る事ができる。

     

     

    本日は雨だったけど、先月寄った時は晴れていて、こんな感じ(着席したテーブルの位置は違うけどね)

     

     

    見えるのは小樽港の半分(南側)だけで、残念ながら独身時代の生活拠点に近い「小樽港の(運河周辺含めた)北半分」方面は、厨房や屋上施設の関係で見れない。でも、こういう「眺めの良い場所で外食」なんて、何年(何十年?)振りだろ?...いやぁ〜、ホントに気分良いんだよね。

     

    ただね...一番最初にこの店に入って食券販売機の前に立った時、ちょっとした不安が横切った。何せ「病院の付属食堂」ってイメージでしょ?メニューは豊富にあるし安いけど、どれもこれも「食塩控えめ」で「低カロリー」な、全て「薄味」&「カサ増し食材豊富」のヘルスフード仕様だったら...

     

    どうするべ( ´△`;)

     

    まぁ全然違って、ごく普通の食堂だったのは当然だ...良く考えりゃ解りそうなもんだよな。何を勘違いしてたんだ?俺

     

    だって、病院の食堂ではあるが、病人相手に商売してるワケじゃないからなぁ。その時に私が食べた「もりそば」の「つけつゆ」だって普通だったし、隣のテーブルには「カツ丼」食ってたおっさんがいたが「この人、食いきれるのか?」と心配になったくらい、景気良く盛られた普通の美味そうなカツ丼。周囲を見ても、カレーライスやラーメン、(ナントカ)フライ定食や(ナントカ)丼...みんな普通に美味そうだった...当たり前だわな。

     

    おまけに本日は病院を出る時...出口付近の掲示板の片隅に、こんな貼り紙があるのを発見。

     

     

    ちゃんと「一般食堂」って、堂々と書いてるじゃねぇ〜か。これに気が付いてさえいれば、一番最初に入った時に「ヘンな緊張感」を感じずに済んだのに...バカだな、俺(笑)

    珍しいアンプ

    • 2019.09.25 Wednesday
    • 16:51

    昨日は浅田さん宅で「とりあえずASADA BAND」の音合わせがあったんだけど、珍しいギターアンプを目にしてね。いやぁ〜、ずいぶん懐かしいブランド名だなぁ〜...と思って、ちょっと書いてみる。

     

     

    「TEISCO」ですよ「テスコ」...ん〜、このブランド名を目にするのは、40年ぶりくらいかも。

     

    「TS-20」というモデルらしいんだけど、フロントパネルに堂々と「SOLID STATE」って書いてある。「Vacuum Tube(真空管)なんぞ、使っとらんわい!」と主張しているようで、何だか微笑ましい。

     

    良くは知らないけど、このへんのアンプを使っていたのは「加山雄三」とか「寺内タケシ」とか、そのあたりの世代の方々だよね?きっと。私が楽器屋さんに出入りするようになったのは70年代も半ば頃だったけど、テスコのアンプなんて置いてあったかなぁ〜。テスコのエレキギターなら、目にしたような...しなかったような?60年代のエレキブームに根強い人気があったとしても、ブームが去ってから10年くらいは経っている頃だ。淘汰されたか、あるいは私ゃベーシストだから、眼中になかっただけか。

    そういやその当時の楽器屋さんや、ステージで目にした事がある「グヤトーン」や「エーストーン」や「ELK」のベースアンプ...みんなどこかへ消えたよな。実際に使った事があるのは「グヤトーン」だったけど、へなちょこだった印象しか残ってないなぁ〜

     

    話を戻して...このテスコ、浅田さんが「いつぞやどこぞから譲り受けてどうのこうので保管してた」のを引っ張り出してきたそうだ(人の話はちゃんと聞けよ・笑)浅田さんのアコギ用か、則子さんのオルガン用に使えないかどうか、色々試しているらしい。この日は、実際の音は聞けなかったけどね。

    それにしても...

     

    このアンプをパッと見た瞬間に「いかにもスチールギターが似合いそうだなぁ〜」という印象を受けたのは、何故だろう。ハワイアンバンドが使っていたのを、バイト先で見たからか?テレビで見たのか?雑誌か何かで写真を見たのか?...自分でも良く解らない。

    そういうイメージを抱くきっかけがあったはずなんだが、全く思い出せない...まぁいずれにせよ、ずいぶん昔の話には違いないな。

    残暑の海水浴場

    • 2019.09.08 Sunday
    • 19:14

    いやぁ〜本日は、な〜んまら暑かった...「tenki.jp」によると、当地周辺の13時頃の気温は32.5℃で、ほとんど風もなし。最近良く耳にするフレーズを借りて表現するなら「9月では、かつて経験した事がない暑さ」だったな。今年は、先頃このブログで予言(?)はしたものの「8月末や9月上旬に、突き抜けて暑い日があるはずだけどね」どころの騒ぎじゃなかったわ。突き抜け過ぎにも程があるってもんだべ?

     

    昼過ぎに、タバコが切れたので近所のコンビニへ...で、帰りにぶらりと海水浴場に寄ってみた。日曜日という事もあり「本日は暑い」という予報もあったせいなのか、意外に大勢の皆さんが遊んでたな。例年なら「学校の夏休み」が終わったら大概の駐車場は閉めてしまうし、土日でもアベックを1〜2組見かけるだけで、閑散としているのが普通だが...

     

    これでも「9月としては、異例の賑わい」って感じ

     

    ただし...このブログは誰が読んでいるか私にも解らない全国区なので、念の為申し添えます。

     

    当地では、8月に入ってからお盆までの「夏の海水浴シーズン真っ盛り」でさえ、水温は常にせいぜい20数℃が良い所。普通の屋内プールや、湘南・沖縄のような環境ではないワケです。本日は(いくら外気温が高かったとはいえ)果敢に海に飛び込んで「バシャバシャ」と遊んでいた子供たちも見かけましたが...シーズン真っ盛りの時期同様、たぶん5分もしないうちに「唇が紫色に変色して、砂場にあがったらタオルをかけてもらってガタガタ震える」結果が待っている事でしょうな。

     

    昨夜「tenki.jp」の予報を見た時は「明日の日中最高気温は30何℃だと?...どうせまた明日の朝に見たら、シレッと平気で20℃ちょっとくらいに修正されるんだろ?」と思ってたんだが...本日は予報通り、マジで暑かった。まぁでも日が暮れてさえしまえば、この部屋に吹き込む「さわさわと涼しげな風」を感じながら、こうしてパソコンに向かっている事も確か...なんぼ日中が暑くてもね。

     

    「当たったら当たったで文句を書かれ、外れたら外れたでイヤミの一つも書かれる」...気象予報士さんも、大変ね。

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